体の状態が気になってしまうあなたへ|クシェートラ

あなたは自分の体をどんな風に感じていますか?
体が自分のすべてだ、という思いはありませんか?
「頭が痛くてダルい、眠くてやる気がない、お腹がすいてイライラする、太って悲しい……」
体のコンディションに自分の気分が左右されてしまうことや、
他人に体のことを指摘されて傷ついたり、肉体を手放す時が自分の終わる時だ、など。
もしそんな風に思うなら、自分は何者か? 本当の自分を見極める必要があるようです。
自分は体だ、という思いこみは、本来無限の可能性を秘める自分を肉体という場所だけに限定してしまっているのです。
あなたの本当の姿は、限りない存在と命の源。
やがて壊れ、いつか終わる儚い肉体ではありません。
Yogaは、この体は私たちが経験する場所にすぎないといいます。
体という場所を通して、私たちは世界と触れあい、出来事を経験に変えるのです。
体は、土地のようにリサイクル可能な場所。
使い終わったら土になり、大地に戻ります。だれもがある日、体という場所に、心とパワーを持ってやってきます。
そこに宿り、世界を体験し、必要な体験を終えたら、借りていた場所を世界に返します。
体は土に分解され、水となり、空気となり、自然を循環し、また次の体を生み出すのです。
この体は、私たちのすべてではありません。体は土地であり、場所であり、物質。「クシェートラ」です。
『バガヴァッドギーター』は、生物も、無生物も、動く物も、動かない物も、世界に現された物をクシェートラと呼びます。
クシェートラとは、“土地、場所”という意味の言葉。
「壊れる」という意味の「クシッ」が語源です。
目で見て、肌で触れ、味わい、感じ五感で感じることができるもの。
そして、やがて壊れ、変わってゆくもの。それがこの体であり、世界にあるものなのです。
私たちの体は、“体験できる場所(物)”にすぎません。
しかし、この場所は生命が宿る特別な土地なのです。息吹が与えられた特別な物質が、この体です。
この生命の源を「クシェートラニャ(知の根源、現す存在)」、もしくは「アートマン(真我、存在、知)」といいます。
土地を動かし、体を形をつくり、命と知恵を吹き込み、存在を与え、エネルギーを流し、感じさせ、「知る、わかる!」という認識と理解を起こし、土地を意識的にする原理。それがアートマン=クシェートラニャです。
「リアルな自分がここにいる!」ということは、だれもが解っています。
しかし、その「リアルな存在とは何か?」が解らずに、人は物である体を自分自身と思い込んでしまいます。
そして、本当の自分と、物にすぎない体を混同します。
体のコンディションを自分のすべてだと思い込み、本気で悩み、絶望したり、自分に限界をつくったり、他人と比べ、嫉妬したり、憎んだり、恨めしい気持ちになったり、自分を嫌い、受け入れられなくなったりします。
本当の自分を知らずに、無知と混乱からだした自分の結論に、自ら限界をつくり、その、限界の枠の中で勝手に苦しんでいるのが人間の苦悩のカラクリ。完全に自作自演の悲劇(喜劇!)なのです。
ほとんどの悩みは、自分1人でゴニャゴニャ考えて作った幻想。
そして考えと幻想の呪縛にハマり「自分は小さい、たったこれだけの存在、醜い、許せない、いつか死んでしまう……」といって幻想の苦痛に泣くのです。 それを知ると、悩んでいる自分を「ああ、なんだ自分で勝手に思い込んでいたのか、ははっ」といって笑うことができます。
自分を笑える客観的な視点を持つことがYoga。
深刻になっている場合ではありません。悩みを笑いましょう!
考え込み、悩み苦しむ自分を、本当に笑い飛ばしてみるのです。
大きな笑い声で笑っている内に、あなたの本質である明るさや輝きが戻ってきます。
小さな悩みはすぐに、何処遠くへ吹き飛んでしまうはずです。
深刻モードは、もうおしまいです!
眉間にしわを寄せて、「悟り!修行!」と考え込むのはあまり楽しいYogaではありません。
本当の自由を目指すYogaは、軽やかでリラックス、
いつも笑いと共にあるもの。もっともっと笑って、自分を楽しみましょう。
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問い:この体を借りたからこそ、得られたこと、できた体験は何がありますか?